ごった煮

日々ごった煮のようにあふれる情報の中から、面白そうなものをいろいろ書き連ねるブログです

船橋の円形の道路が非常に気になるぞ!

昭和後期の名大関若嶋津こと二所ノ関親方が道端で倒れていたというニュース。 

 

すでに病院にて緊急手術を行いICUで安静にしているということですが、体調の回復を願っております。

 

 

さて、そのニュースで私が一番気になったのは二所ノ関部屋が映し出された地図に描かれたまん丸の道路です。

 

 

ということでGoogleマップで「二所ノ関部屋」と検索すると・・・

 

出てきました!!

ここがその場所ですね。本当に部屋から目と鼻の先です。

 

 

この円形道路の内側は全体の1/5が行田公園という公園になっていて、残りは団地と2つの小学校と1つの中学校、そして税務大学校東京研修所という施設になっています。

 

 

そしてこの道路の真ん中にあるのは・・・

 

「船橋無線塔記念碑」というなにやら気になるもの。

 

これも調べてみましょう。

 

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円形道路にあった施設 

 

海軍無線電信所船橋送信所 - Wikipedia

wikipediaによると、戦時中はこの円形の道路の内側は「海軍無線電信所船橋送信所」という施設があったようです。

 

この無線所からは関東大震災の被害状況が日本全国に送信されたり、あの真珠湾攻撃のきっかけになった「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号もこの施設から発信されたと書かれていました。

 

 

こういった無線を全国に送るには円の中心部分に高いアンテナが必要になります。

 

高さは何と200m!

 

そのアンテナも支えがないと自力で立ちませんので、大量のケーブルと、それを固定するための支柱を周囲に配置します。

 

アンテナを支える複数のケーブルの力を同じにするには円形に支柱を配置する必要がありますので、管理をやりやすくするために道路も円形になりました。

 

 

 

当時の日本には高層ビルなんてありませんでしたから、この鉄塔の集まりも遠くからよく見えたんでしょう。

 

昔の航空写真も見てみよう

 

国土地理院提供の「地図、空中写真閲覧サービス」を使い1940年代の航空写真を見ていきます。

 

参考にするのは昭和23年の航空写真。

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昭和23年の時点で送信所は米軍に接収されているんですが、2017年現在もそのままの形で残っているきれいな円周道路が写っています。

 

中央にあるのは無線の送受信を行っていた施設。

 

その円周道路を斜めに貫いている道路は当時の旧道ですね。

 

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このときにはアンテナも大改造されていて巨大な鉄塔が6基規則正しく並んでいました。

 

ただし、円形道路から北側にかけての範囲ですが・・・。

 

だから最初見た時は見つからなくて苦労しましたよ。

 

 

ついでに写真左上、二所ノ関部屋がある場所もかつての川の跡なのがよーく分かりますね。

 

 

この高い6基の鉄塔は接収解除後、1972年には解体されたんですが、なんとそのうち1基の跡地はすぐ脇を武蔵野線の高架が通っているところだったりします。

 

さいごに

円形の道路が気になったので調べてみたんですが、なんとそこには日本の歴史に大きく関係する重要な施設があったとは思ってもみませんでしたね。

 

 

千葉県内には船橋のこの円形道路に限らず戦争の痕跡が数多く残っているとのことなんで、遺跡マニアな方にとっては是非すべて訪れたい場所ですね。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。