ごった煮

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昭和11年(1936年)の航空写真で東京を見てみた

4月28日、国土地理院は戦前の1936年(昭和11年)頃に撮影した航空写真519枚をつなぎ合わせた

東京23区の航空写真を公開しました。

 

maps.gsi.go.jp

さて、この航空写真が撮影された当時の時代背景について。

 

1936年といえば、関東大震災(1923年)から13年後。既に東京は復興されています。

1929年に起こった世界恐慌は日本経済にも大きな打撃を与えました。さらには東北地方を襲った大冷害により農作物の不作が相次ぎ、身売りが相次いで発生。円安の経済政策と軍拡により景気が元に戻ったのは前年1935年のことでした。

この翌年、1937年に日中戦争が開戦、さらに1941年には太平洋戦争へも突入していきます。

 

 

1945年に今度は東京大空襲で街は壊滅してしまいます。このため、この航空写真は戦前の東京の姿が見られる非常に貴重な写真と言えます。

 

ということで、私が独断と偏見で選んだ、当時の東京のとあるエリアの姿をいくつかご覧いただきましょう。

 

まずは今話題の築地市場周辺。

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豊洲に移転するかが今問題となっている築地市場は今から82年前の1935年に開場。

ですので1936年の航空地図にもしっかり写っています。

お隣りにある白くて細長い建物がたくさん並んでいる場所は汐留貨物駅、現在の汐留シオサイトです。

当時の貨物輸送は鉄道が担っていましたので、汐留貨物駅から築地市場へも線路が伸びていますね。

 

そのすぐ下、明らかに不自然に白塗りになっている場所は今も現存する浜離宮恩賜庭園です。

当時の航空写真は陸軍が撮影していましたので、

主に旧皇族のお住いや皇居(当時は宮城)、明治神宮、新宿御苑などが軒並み塗りつぶされています。

 

こちらは月島の埋立地。

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まだ埋め立てられたばかりで何もありませんね。

1940年に皇紀2600年記念日本万国博覧会が開催される計画があったのがこの月島4号地と呼ばれる埋立地でした。

また、同じ年には東京オリンピックも行われる予定でした。

しかし、戦争が激しくなったことから1938年に博覧会とオリンピックの中止が決定されました。

のちにこの埋立地には飛行場がつくられることとなります。

なお、現在は晴海トリトンスクエアが建っています。

 

こちらは現在の世田谷区内。

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現在は高級住宅街が広がる世田谷区内も1936年当時は農地が広がる田舎の風景を色濃く残していました。今の砧公園周辺です。

この場所が発展するのは戦後の高度経済成長期になってからのことです。

 

最後に私が大好き東京ベイエリア。

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写真がないエリアには地図が表示されています。

この当時は第一台場から第六台場まですべての台場が現存しています。

第四台場はこの当時緒明氏の運営する造船所だった頃でしょうか。既に周囲には埋め立て用の護岸が設置されています。この写真から3年後の1939年に第四台場は埋没してしまいます。

なお、この埋立地は現在の天王洲アイルです。

 

第三台場は第六台場とともに史跡となり、既に整備されて台場公園になっています。

「品川台場史考」という書籍によりますと、田町から船で訪れていたようです。各台場に船着き場がありますが、防波堤から歩いて公園に上陸していたと記載がありました。

 

ご紹介できなかったエリアも数多いですが、80年前の東京と今の東京を比べてみると、今の広い公園にはかつて軍需工場があったり、

東京駅前には外堀川が流れていたり、そもそも東京の街は川だらけだったりと非常に面白い発見ができますよ。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。